川辺川ダムでの「不毛な対立」 F-9-3



2.  各関係者の姿勢
つぎに、国交省・脱ダム関係者それぞれの姿勢を検討します。

1)国交省・・・パターナリズム
水害犠牲者が戦後から一桁以上も減少したことはダムなどの計画的な治水事業のおかげであり、国交省が大きな貢献をしたことは間違いありませんが、1997年の方針転換以前では、国交省には住民を無視した強権的な面が少なくありませんでした。

その理由はダム建設が国交省の専決事項であっただけでなく、「ダムはとても有効、人の命を救い社会に貢献する」との事実判断、および「国家は国民の生命・財産を保護する義務を負っている」とする使命感があり、これが強すぎるパターナリズムを呼び起こしたと思われます。注1)

これは教育熱心な親と高校生の子供の関係に譬えると理解しやすくなっています。(国交省⇒親、住民⇒子供、水害⇒負け人生、ダム⇒親が選んだ進路) 
結局は“子供の信頼を失った親”になってしまいました。


特に川辺川ダムの進め方はひどかったようで、説明不足だけでなく誘導・詭弁・ごまかし・隠蔽・虚偽などが少なからずあったようです。

一方、方針転換後の「住民討論会」では住民の要求に応じた調査とその公開はしっかり行なっていますし、特に「ダムによらない治水を検討する会」「球磨川治水対策協議会」では自説(ダム建設)とは異なる対策を丁寧に検討しています。これは評価されるべきでしょう。

しかしながら、これでも住民の不信感はなくなりませんでした。一度でも子供の信頼を失ってしまうと親が反省してどんなに誠意を尽くしても子供の信頼は回復できないことと同じです。

まずは、国交省がこのようにして川辺川ダムでの「不毛の対立」の種を蒔いてしまいました。しかしながら、パターナリズムがなくなれば今度は住民(子ども)がしっかりしなければなりませんが、実際には以下に示すようにそうとはならずに悲劇を迎えてしまいました。

注1)パターナリズムとは強い立場にある者が弱い立場にある者の利益のためとして本人の意志は問わずに介入・干渉・支援すること。父親が子供のためによかれと思って子供の意向をあまり聞かずに意思決定することから来ている。家族主義・父権主義。

2)マスメディア・・・”事実に角度を付けている”
まず、マスメディア(マスコミ)がダム建設に関わる無駄・悪弊を明らかとしたことは評価されますし、今後もこのような活動に期待はかかっていますが、以下のように「不毛」を引き起こしていました

多くのマスメディアは2001年の田中知事の「脱ダム宣言」を契機にダム問題をセンセーショナルに、また情緒的に取り上げるようになってきました。そこでは、脱ダム活動家・学者の主張を頻繁に伝える一方、一般の河川工学者や国交省を体制側として否定的に扱う傾向があったため、世論はダムを悪しき公共事業の代表格と見るようになりました。結局、肝心の住民の安全は置き去りにされました。


これらに先立つ1991年、地元の毎日新聞熊本版ではじまった小さな連載が反対運動を呼び起こしました。この連載をベースにした出版物はバイブルとなり、これがなければ当時としては珍しい受益地での反対運動は起きなかったとも言われています。

しかしながら、本書は以下のように不適切な主張が散見されます。

「ダムを造らなくてもこうしたソフト面の対応を充実させれば、生命はほぼ100%守ることができる」としていますが、このような重大なことを専門家でもないのに断定してしまうのはきわめて不適切でした。

「川辺川ダムの本体着工をまたずして”緑のダム”は復活したのだ」としていますが、それが正しくないことは現時点ではほぼ明確になっています。

「川辺川と球磨川本流の合流部には”一本の線”が走っている。球磨川の白く濁った水と川辺川の青く澄んだ水がぶつかってできる境界線だ」としています。これでは”一本の線”が常態化しているように読めますが、実際にはそうではないようです。

全体的に情緒的で読者の”心情”に訴える面が目立ちます。

これらの報道は明らかな誤報ではないかも知れませんが”事実に角度を付けていた”ことは明らかでしょう。注)  

新聞は“社会の木鐸”と言われている一方で、日本新聞協会の倫理綱領は「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」となっています。
しかし、 “社会の木鐸”の強い使命感によって“正確・公正”が薄弱となってしまったようです。

このようにしてマスメディアが偏った世論を作ってしまった面は否定できません。

注)”事実に角度を付ける”とは、「特定の論調に沿って記事を書く」を超えて「偏った取材や文章テクニックで読者の事実誤認を誘導させる」こと。この言葉が知られることになったのは、2014年の朝日新聞の「吉田調書」(福島原発関連)の記事取り消し事件。「命令違反ではないが『退避』は事実だった。事実に『角度』をつけることは『解釈の違い』に過ぎない」「事実を伝えるだけでは報道にならない。新聞としての方向性を付けて初めて記事になる」との擁護もあったが、第三者委員から強く批判されている


3)脱ダム活動家・・・”正確・公正”を欠く 

脱ダム活動家がダムのマイナス面を明らかにしたこと、従来の「お上に従う」との気風を打破したことは評価されますが、以下のように「不毛」を激化させてしまいました。

まず、国交省の見解を全否定して様々な事実判断を主張していますが、その根拠はとてもあいまいです。

特に、冷静さが不可欠な事実判断においてすら言葉たくみに”心情に訴える”、さらには“煽る”場合が多くなっています。その手法はマスメディアよりも直接的で、しかも非常に洗練されているため大変有効に働いています。

マスメディアとは違って信条の主張に制限はないとは言え、公の活動である限り事実判断は”正確・公正”でなければなりませんが、実際にはこれを欠いています。
確信犯的な面も否定できません注)

また、有効で実現可能なダム代替案を提示できませんでしたが、そうであれば実現容易な「ソフト対策」などを強く主張すべきでしたし、場合によっては環境にやさしい流水型ダムを提言すべきでした。
これこそが真に住民の立場に立った活動です。

特に、「川辺川ダムはダム反対運動にとっての聖地」とほめそやし、住民には直接関係しない他のダム反対運動を持ち込んでいました。
これではむしろ住民を利用していると言われても仕方がありません。


脱ダム活動家はこれらの点で、独善・頑迷に陥っていると言わざるを得ません。


注) 川辺川ダムでは上記@〜Hなどだが、次のような例もある。過去の環境対応が不充分なダムや堆砂の激しいダムの例を盛んに強調しているが、現在では新技術の開発でかなり改善されているし、地域・目的によっても状況は大きく異なる。(堆砂ワースト50例のうち8割近くは堆砂しても問題のない発電用) また、米国開拓局長官の「ダムの時代は終わった」との発言も強調しているが、開拓のための利水(農業用)には不要になっただけで米国では現在もダムを建設中である。治水(洪水防止)がメインである日本に招待した講演でおいてすら、治水には一切言及がなかった。


4)脱ダム学者・・・活動家になっている 

今後も大勢に流されない主張には期待がかかっていますが、以下のように「不毛」を激化させてしました。

まず、本来、学者であるからには研究活動に集中してダム建設に関するの”真実”を徹底的に追及すべきですし、”真実”に近づくには議論が不可欠で一人の意見は危ういこと、脱ダム論の賛同者が少ないのは自説に無理があるためと分かっていたはずです。注) 

しかしながら、脱ダム学者はこれらへの適切な対応が欠けていたと思われます。

実際、川辺川ダムでは国交省や多くの専門家の主張をはなから否定し、もっとも重要な事実判断である「基本高水」を含む上記@〜Hなどを主張してきました。
”真実”追及がきわめて甘かったのは明らかです。

つぎに、関係者・住民には”真実”を偏ることなく示すべきです。しかし、ダムの欠点だけを強調するだけでなく、住民にとって重要な「清流が失われる」の確認を怠るなど、いかにもバランスを欠いています。

これらは自らの「ダムの全否定」の主張や「ダム反対運動にとっての聖地」の影響を強く受けた行動としか思えません。

本来、学者は独善・頑迷とはもっとも遠くにあり多くの人々から信頼される立場であるにも関わらず、残念ながら活動家如くになってしまったようです。

注)ここでは”真実”は「本当の事実」とする。信条・信念・価値観は無関係。事実の根拠の信憑性が高ければ高いほど”真実”に近づくことになる。コンピューター出現前なら3日後の天気予報は信頼性が低かったが現在ではかなり上がっている。これが真実に近づいた状況で、コンピューター役が学者。

5)住民・・・情報リテラシーが不足
流域住民は16年前にダム建設撤回を選択しましたが、これは"角度を付けた"情報や”正確・公正”を欠く情報に基づいていた面が大きかったと思われます。

また、一部住民は”都市伝説”などの不適切な情報を自ら発信していました。


これらの点では住民に情報リテラシーが不足していたと言わざるを得ません。



 3. まとめ

反対運動の主張と各関係者の姿勢での「不毛」は以下のようにまとめられます。 

1)紛糾の大元は?  
「今後発生し得る水害の規模は?」などに関する事実判断の違い。

 2)どこが不毛か?  
長期間に渡って膨大なエネルギーを費やした徒労、対策が決まらないまま発生してしまった甚大な被害、未だに根強い反対を押し切っての建設、の三重の損。

 3)「不毛」を引き起こした主張
@ 川辺川ダムの全否定

A 国の基本高水は誇大

B ダムが水害を起こす

C 清流が失われる

D ダム以外の治水が可能

E 国交省は”悪人”

 4)「不毛」を引き起こした姿勢
@ 国交省・・・パターナリズム

A マスメディア・・・”事実に角度を付けている”

B 脱ダム活動家 ・・・”正確・公正”を欠く

C 脱ダム学者・・・活動家になっている

D 住民・・・情報リテラシー



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