論考  第1編 川辺川ダムでの「不毛な対立」   F-9-1


はじめに

熊本県の川辺川ダムは“脱ダム”志向のマスメディア・活動家・学者・住民と国交省が対立し工事が中断していましたが、これが完成していれば2020年熊本豪雨での甚大な被害は大幅に低減していました。「不毛な対立」としか言いようがありませんが、同様な対立は世の中に溢れています。

そこで、「不毛な対立」について理解を深め、その改善策を提案することを目的として考察を進めました。

まず、川辺川ダムでの「不毛」の状況を明らかにしました。つぎに、「不毛」を引き起こす要素として「信念」「思い込み」「感情」「損得」を定めた上で、これらを利用して「不毛」を解析しました。さらに、要素ごとに「不毛」の改善策を提案しました。

次編では幅広い案件に適合できるように一般化させるともに、「不毛な信念対立」に特化して考察を深めます。

なお、別論考の「運命共同体 百年の大計」が本編の端緒となっていますす。

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目次 

T 序論

1. 「不毛な対立」                                    F-9-1 
2. 背景                                                 
U 「不毛」の状況                                   F-9-2
1. 反対運動の主張
2. 各関係者の姿勢                                F-9-3
3. まとめ

V 「不毛」の解析                                 F-9-4
1. 不毛要素
2. 主張での「不毛」
3. 姿勢での「不毛」              
4. まとめ

W 「不毛」の改善                                 F-9-5
1. 事実判断の一致
2. ”損得ベース”の改善
3. 「信念」の改善
4. まとめ

X 全体のまとめ

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T 序論
1 .「不毛な対立」

「『知事さん、ダムを造らないで』。地元で生まれ育った木本千景さん(34)は切々と訴えた。川辺川は遊び場であり、アユ漁や川下りができる観光資源であり、古里の原風景。学生だった2008年、ダム建設を『白紙撤回』した蒲島氏のニュースを東京で見て『うれしくて泣いた。だから、ここに戻って子育てし、幸せな生活を送っています』。川遊びする長男(4)の写真を蒲島氏に向けた」

これは多数の命を奪った水害3ヶ月後に開催された住民意見聴取会での発言ですが、この1か月後に蒲島熊本県知事はダム建設を表明しました。なにが起きていたのでしょうか?


2020年7月の熊本県豪雨によって多数の犠牲者と甚大な被害を招いた球磨川水害では、最大支流である川辺川に建設中のダムが完成していれば被害は大幅に低減していたと推測されています。この川辺川ダムは50年前に計画されましたが、着工後も反対運動が続き7割程度まで建設が進んだまま20年ほど前からストップしていました。

事の経緯は次のとおりです。国交省は、住民を水害から守るとの大義を背景に、必ずしも適切とは言えない言行で無理やり住民にダム建設を受け入れさせようとしていましたが、住民は強引な進め方への反発と環境破壊などの懸念から拒否。国交省は方針を転換して住民の意向を尊重することとし、熊本県・流域市町村とともにダム以外の案を検討してきましたが、いずれも有効性や実現可能性が乏しいことが明らかとなりました。

一方、“脱ダム”志向のマスメディア・活動家・学者・住民以下、「脱ダム関係者」と総称)は、「国交省の主張する水害は起こり得ない!」「、清流が失われる!」とダム反対を強く主張し一般住民への影響力を強めていましたが、そこでは環境を守るとの大義から国交省と同じ不適切な言行も散見されていました。

紛糾の大元は「今後発生し得る水害の規模と頻度は?」「その水害をどこまで防げるか?」「ダムでどのような環境破壊が起きるか?」などに関する事実判断の違いであり、基本的には“事実”であるからには皆で共通認識を持ち得たはずでした。しかし、共通認識もないまま実効的な対策が行われずに今回の大水害が発生してしまいました。

そして、水害4ヶ月後には、熊本県・国交省は今まで一種タブーとなっていた川辺川ダムを再登場させました。「環境と命の両立」に配慮した流水型ダムの形にしていますが、脱ダム関係者の反対は変わりません。注)しかし、今後は以前のように住民意向を計ることはなく一気にダム建設が進められる見通しです。


結局、想定していた水害から流域住民を守ることができなかった国交省、想像もしていなかった水害を流域住民に被らせてしまった脱ダム関係者、ともに“忸怩たる思い”に陥っていると思われます。

特に、地元の活動家にとっては数十年にもおよぶ活動が一瞬で覆されてしまいましたし、全国区の活動家や学者にとっては自らの信用を落としてしまった上に、盛んにほめそやしていた「ダム反対運動にとっての聖地」が一転して流水型ダムによる脱“脱ダム”の流れを作り出してしまいました。 “脱ダム”運動として大失敗です。

そして、これらに翻弄されてしまった流域住民が最も悲惨な目に逢いました。だれもが不幸に陥っています。まさに「不毛な対立」でした。


この「不毛な対立」は長期間に渡って膨大なエネルギーを費やした徒労、対策が決まらないまま発生してしまった甚大な被害、そして未だに根強い反対を押し切っての建設、との三重の大きな損失を残しました。 ここには様々な形の「不毛」が勢揃いしており、これらは世のあらゆる「不毛な対立」に通じています。

そこで、同じようなことを繰り返さないために、本編では「不毛」の観点で川辺川ダム建設反対運動について詳しい検討を行うことにします。

注)流水型ダムは穴あきダムとも呼ばれ,通常の貯留型ダムと異なり河床部に放流設備を有し,平常時には水を流下させ,洪水時にのみ貯留する洪水調節専用のダム。 平常時には水質の変化はほとんどない、 魚類等の遡上・降下や土砂の流下など河川の連続性が確保しやすい,堆砂容量を最小限にすることができるなどの特徴がある。


2. 背景
考察の前に、理解に不可欠な背景について説明します。

1)球磨川
全長115qの一級河川、清流として有名でカヌー・ラフティングやアユ釣りに人気があります。一方、昔から水害を繰り返す「暴れ川」の異名を持ち、過去400年には100回以上の水害があったとされています。

2)川辺川ダム
球磨川最大の支流である川辺川に計画されている高さ108m、総貯水量1億3300万m3(東京ドーム107杯分)の九州最大級のダム。すでに2100億円を使って家屋移転や代替道路などの周辺工事は完了しダム本体のみが未着工となっています。
          

なお、球磨川本流には市房ダムが1959年に建設されていますが、洪水調節容量は川辺川ダムの1割程度となっています。(図 2020年8月12日付け西日本新聞より)


    

3)災害状況
今回の球磨川水害による家屋損壊/流出は4500戸、床上浸水は1500戸以上、死者は60名。中流域の人吉地区での被害が甚大で死者45名、浸水深さは5〜8mにも達しました。過去最大の惨事で、特に死者が多くなっています。

4)川辺川ダムがあれば
もし川辺川ダムが完成していれば、人吉地区では「河川流量は4割減、氾濫面積は6割減、3m以上の浸水面積は9割減」(国交省)、「氾濫量は5〜13%に、ピーク時は2時間遅れに」(京大防災研)になったと推測されています。そのため、資産被害は大幅減となり死者も減少していたと思われます。

5)経緯
1966年 川辺川ダム基本計画の策定  
前年まで3年連続した大水害が策定の契機となっています。合計で家屋損壊・流出1606戸、床上浸水4689戸、死者・行方不明は61名、浸水深さは最大2.1mでした。

1997年 河川法の改訂
政策方針として、「住民の意向を尊重しながら、『総合(流域)治水対策』として自然の多様性保全や氾濫を前提にした治水等を展開すべき」としています。歴史的な大転換であり、特に国交省が専決権限を手離した意味は大きくなっています。

2001年〜 「住民討論会」 
熊本県・国交省主催による住民、専門家、諸団体も加わる大規模な集会で、3年間で計9回開催されました。画期的なことであり脱ダム側も高く評価しています。

2008年5月 有識者会議
専門家は「ダムによる治水が最も有力」「ダム建設なしでは人吉地区の安全は守られないし、代わりの河床の掘下げと拡幅では自然は大きく破壊される」としていました。

2008年9月 知事のダム計画中止表明
蒲島知事は「ダムは水害に対して有効ではあるが、環境を破壊することも確か」「ある程度の水害は許容しても『地域の宝』を守りたいという住民独自の価値観を重視する形があってもよい」とし、「ダム計画を白紙撤回し、ダムによらない治水対策を追求すべき」との意見を表明しました。この表明には流域住民の8割が支持しましたが、国交省からは「流域住民に水害を受忍していただかざるを得ないことになる」と警告されました。

2009年 民主党政権による中止決定
“脱ダム”ブームもあって、野党や一部マスメディアが積極的に関与して反対運動が全国的に広まり、「東の八ッ場ダム、西の川辺川ダム」とやり玉にあがっていました。政権奪取後の民主党がいずれも中止しました。(その後、八ッ場ダムは工事再開して完成)。

2009年〜2020年 「ダムによらない治水を検討する会」「球磨川治水対策協議会」 
国・県・市町村の「検討する会」で堤防強化などダム以外の対策がまとまり、順次実施されています。しかし、全ての項目を実施しても治水安全度が低い(人吉地区では5年に1度の洪水)ことが判明しました。
その後、「協議会」でさらに10案が検討されましたが、いずれも流域市町村の利害対立が浮き彫りになりました。また、最低で約2800億円、最高で約1兆2000億円にも上る費用や最長200年に及ぶ工期を巡って意見がまとまらず足踏み状態が続いていました。(2020年8月4日付け毎日新聞より)


       

 


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