論考
  「運命共同体 百年の大計」   F-8-1


2019年での三つの出来事「東京電力トップに対する裁判」「二子玉川での越水」「グレタ・トゥンベリさんの国連演説」を糸口とし、それぞれに関わる重要案件である「エネルギー政策」「治山治水」「地球温暖化」の決定過程での「不毛な対立」について横断的な検討をおこないました。(本編では特に「信念」に拘らないので『信念対立』ではなく一般的な『対立』としています)

この3案件は事実ベースの政治経済問題で子孫を含む国民多数に関わるものとしてきわめて重要であり、いわば「運命共同体 百年の大計」の代表格と言えます。そのため、新型コロナウィルスのような突発的な時事問題と比較すれば情報は整理され議論もしっかりしているので、これらの実態を横断的に検討することによって事実ベースの政治経済問題の「不毛な対立」の核心に近づくことができると期待されます。

同時に、本サイトのテーマであり、やっかいな「信念」が中心となって深刻度がより増している「不毛な信念対立」の理解を助けることになると期待されます。

なお、事実ベース案件のため実態検討の際には実証的であることを心掛けました


1. 三つの出来事 
1-1 東電裁判
東京電力福島第1原発事故をめぐり業務上過失致死傷罪で強制起訴された同社の旧経営陣3被告に対し、東京地裁はいずれも無罪を言い渡しました。(2019年9月19日)


この無罪判決には批判が集まっていますが、(組織責任論は別にして)原発事故の再発防止、つまり日本国民にとっての利益の観点で考えるとトップへの罰は意味があるの大いに疑問に感じます

 (写真:原発構内に押し寄せる津波)

トップ3名が無能で無責任であったために事故が発生したのであれば罰に意味がありますが、実際にはそうではないようです。注1) それにも関わらず事故が発生してしまったわけで、ここに容易ならざる深刻な問題点が存在しています。

それは原発安全性の不確実性にどのように対応すべきかの問題であり、個人の予見能力を超える巨大地震/津波の不確実性に対して社会と国が適切に対応できなかったと言うきわめて本質的な問題なのです。注2) 

しかしながら、裁判では被災住民・活動家は目に見える個人に対して激しい怒りをぶつけており、メディア・世論も同調しています。

果たして、無能・無責任の”悪人”としてトップ3名を有罪にし、新たに有能かつ責任感のある”善人”をトップに据えれば原発は安全となるのでしょうか? ”善人”故に深刻な地球温暖化に心を痛めて原発を推進するかも知れませんが、それでもよいのでしょうか?  

強制起訴をした本人には裁判を通して反原発の信念を拡散させようとの思惑があったと思いますが、実際には最も重要である不確実性対応の問題をあいまいにし、あるべき反原発運動を歪ませてしまいました。(無罪判決で、むしろ傷は浅くて済みました) 

結局、被災住民・活動家側をも含めた「運命共同体」にとって実りのない裁判
でしかありませんでした


注1)学会や東電技術陣がそろって15.7mを主張していたのにこれをトップが無視したのなら、それは明らかにトップの無能・無責任が事故を招いたことになりますが、判決によると15.7mは様々な予測のうちの一つにしか過ぎなかったようです。ちなみに、原発事故を起こせば会社も大損害を被ることはトップとして十分に分かっているはずなので利益優先との非難も当たりません。


注2)たとえば、「原発は人間の手には負えないので導入すべきではない」「国の規制を徹底する」などの主張が受け入れられなかったことが問題

  
1-2 二子玉川越水
台風19号の記録的な大雨により二子玉川で越水が発生しました。(2019年10月12日)


ここは多摩川で唯一堤防のない所でした。一歩間違えれば大洪水となり、反対住民は自分も不利益を被り、
地域住民全体にも大きな損害を与える可能性がありました。どうして無堤防のままだったのでしょうか?

反対住民は「国の設定する計画高水位は過大」「何百年に一度起こるかどうか分からない河川氾濫を心配しすぎるのはおかしい」「前回豪雨時と同じように土嚢を積めばいい」と考えていたようです。


不確実性に対してあまりにも楽観に過ぎました。注2)



また、「家の前に高い堤防ができると川べりの素晴らしい眺めが遮られる」「マンションの資産価値が下がる」と考えていたようです。

自分たちの損得を安易に決めつけてしまったようです。

(写真:反対派の看板)


さらに、「国の堤防建設ありきの発想が露骨」「一日も早く工事を完成させ、『できたものは仕方がない』で逃げ切ろうとする目論見が透けて見える」と国への強い反発の感情を抱いていたようです。

結局、地域住民全体だけでなく本人自身にとってもマイナスでしかない反対運動だったと思います。

注1)国は、1966年から無堤防部の解消計画をスタートさせ、2004年頃からは地元との意見調整の会合を30回以上も行っていたが、一部の地域住民はあくまで工事に反対していた。

注2)予見できなかった点は東電トップと同じだが、予見可能性のレベルは全く異なっている。今回、甚大な被害が出ていた場合、反対住民は道義的な責任を負うべきだったかも知れない。

 

1-3 グレタさん国連演説  
スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリさんは国連気候行動サミットで次のような演説をしました。(2019年9月24日) 「私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです」「あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よくそんなことが言えますね。」「この状況を本当に理解しているのに行動を起こしていないのならば、あなた方は邪悪そのものです」「あなたたちを絶対に許さない」

 (写真:演説するグレタさん)

これに対する世の評価として、賛同側では、「若いのに地球の将来を真剣に考えている」「しっかりとした信念」「世論の関心を呼び起こすことに成功」


一方、批判的では、「『大量絶滅』など、不確実性を無視した極端な解釈」「『おとぎ話』『邪悪』など、単純な決めつけ」「『よくそんなことが』『絶対に許さない』など、自分の感情に振り回された訴え」などがありました。

また、年齢のこともあってグレタさんをジャンヌ・ダルクになぞえる声もありますが、敢えて言えば環境活動家としての「[レイチェル・カーソン」の方が近いように感じます。注1)注2)  カーソンとは上記の賛同的評価は完全に一致、批判的評価は(時代と年齢により両者の態度・表現には大差があるものの)内容的には概ね一致しています。

そして、カーソンの功罪、特に罪については本人よりも回りの人々が安易に持ち上げたり、逆に攻撃したりした責任が大きかったので、グレタさんの活動がどのようか結果をもたらすかは回りの人々しだいになると思います。


注1)1962年に「沈黙の春」を出版したレイチェル・カーソンは産業界からの激しいバッシングに耐えながらDDTなど合成化学物質の危険性を警告し、環境保護の流れを創るという偉業を成し遂げた。在野の環境研究者、環境活動家のパイオニアと言える。しかし、彼女の警告によりDDTの使用禁止措置が世界中に広まり、これが主因となって途上国で根絶に向っていたマラリアが復活してしまい、全世界で毎年100万人以上が死亡する事態が続くことになった。しかも、現在ではDDTに健康被害はほとんどないことが明らかとなり、WHOはDDTの使用を奨励しはじめた。このため、彼女は「真実ではない恐怖を煽ってDDTを禁止させ、大勢の子どもの命を奪った」とも批判されている。

注2)環境研究者としてのカーソンについては下記 4-3-1の温暖化の研究、「沈黙の春」の訴求力については4-3-2の温暖化広報 の注で触れる。


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