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「運命共同体 百年の大計」
4-3 地球温暖化 注1)
4-3-1 温暖化の研究
1988年のハンセンによる米国議会での証言以来、地球温暖化問題が世の注目を集めるようになり多くの研究資源(人員・費用)が投入され、現在では人間活動が主原因とする人為説の信憑性が高くなってきたものの科学的にはまだまだ確定できていません。
しかしながら、グレタさんをはじめ世論の大勢は「地球を救うため」とのかけ声で人為説を前提にした様々な主張・活動を精力的に行なっています。
そのため、世論としては定説になってしまった100%人為説によって、肝心かなめですべての基本となるべき温暖化の研究が、本来持っているきわめて大きな不確実性を軽視して人為説に偏ってしまっているとの「思い込み(不確実性)」の懸念があります。注1)
その理由は、第一に、人為説の研究は人員・予算面で大変有利になっている一方、人為説以外の研究はとても不利になっているはずです。第二に、本来、研究では異論・異説との議論は不可欠のはずですが、懐疑論(人為説不支持)研究者との真摯な議論はほとんどなされていません。第三に、人工的に寒冷化を起こさせる気候工学の研究は人為説の真偽とは無関係に温暖化対策として大変重要ですが、タブー視されて研究は抑え込まれているようです。注2)
あえて言えば、この状況は「温暖化ムラ」であり、ここには研究者の「損得」とともに、人類を救いたいとの強い「信念」、懐疑論が出鱈目なので人為説は正しいとの二元論的な「思い込み(単純化)」もあるようです。
現状のデータからは人為説が正しい可能性は高いとは言え、もし人為説が間違いであれば大変な労力と費用をかけるCO2削減が全くの無駄となりますし、将来的には寒冷化によってかえって甚大な被害をもたらす可能性があります。注3)
真剣に検討すべき事態と思われます。
以上まとめると、「思い込み(不確実性)」があり、「損得」よる研究の偏り、人類を救うとの「信念」、人為説は真か偽かの「思い込み(単純化)」に陥っている面があります。
注1)ここでは温暖化の「原因探求」に関して述べるが、人為説を被害甚大説に置き換えれば温暖化による「被害予測」に概ね適用できる。
注2)具体例は別として「世論の支持を得て研究が偏ってしまう」点は、レイチェル・カーソンによるDDTだけでなく、彼女に続く環境研究者によるダイオキシンや環境ホルモンでも共通する面があったと思われます。
注3)温暖化の主原因が太陽活動など自然側にあったとすれば、将来的には反転して寒冷化に進む可能性が高くなり、その場合にはCO2削減は寒冷化を後押ししてしまうことになる。また、寒冷化要因である太陽活動低下と巨大噴火の発生可能性についてはほとんど分かっていない。核の冬はインド/パキスタンの対立などを考えるとないとは言えない。重要なこととして、寒冷化は温暖化に比べて可能性は低いものの被害規模は大きいので、脅威(可能性×被害規模)としては同格のように思える。
4-3-2 温暖化の広報
アル・ゴアによる「不都合な真実」は観客の「感情」に強く訴える力を持っています。「海面が上昇する」との不安、「ホッキョクグマがかわいそう」との情緒、「懐疑論者は守銭奴の嘘つき」との怒りなどの強い「感情」が沸き上がります。これらが世論の人為説支持に大きく貢献しました。注1)
日本のメディアはこの流れに乗っており、「感情」面を表に出した人為説一色です。懐疑論はほぼ無視されていますし、上記の研究の偏りを批判する記事はほとんどありません。
ここには正義としての「信念」や「感情」の利用だけでなく、世論から批判を受けない「損得」(世論への「おもねり」)もあるはずです。この世論との関係は研究の場合よりも深く、いわば「共依存」の状態になっていると感じられます。注2)
公平中立に客観的事実を伝えるべきメディアとして大いに問題があります。
また、多くの環境団体は「感情」面をさらに強調しますし、懐疑論研究者を「人類の敵」扱いまですることもあります。正義としての「信念」や「感情」の利用がより強くなり、人為説のみを「真実」とする「思い込み(単純化)」が現れています。
これらのため、日本の世論ではほぼ100%近くが人為説を信じ、懐疑論には嫌悪感や怒りを示すことが多くなっています。
このように懐疑論が抑えられている姿にはファシズム的な雰囲気すら感じられます。
注1)カーソンの「沈黙の春」も感情による訴求力が優れている。文学的素養もあるカーソンならではの傑作とも言える。
注2)この関係はダイオキシンや環境ホルモン、最近では子宮頸がんワクチンでも現れていると思われる。
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