パンドラの約束  F-5-5



8. 「偽りの約束」 1/2  -‘パンドラの約束’への反論-   2014.12.8

 「偽りの約束」と題したレポート(日本語訳)が原子力資料情報室HPに掲載されています。 http://www.cnic.jp/files/20130828_pandora.pdf

 HPでは「本書は、映画「パンドラの約束」やその他数多くある原子力推進プロパガンダの嘘を暴くために、米国の著名な反原発団体BEYOND NUCLEARが作製」と紹介されています。つまり、反原発派による‘パンドラの約束’に対する反論書であり、原発推進に対する一般的な反論書にもなっています。

 そこで、一般反論書としての検討は次章9.で行なうとして、本章では‘パンドラの約束’に対する反論書として、果たして『対立相手との真摯な議論』につながるものとなっているか? の観点で検討を行ないます。

 

 まず、本レポートでは5人の転向者に対して、「批判」する(検討し評価・判定する)と言うよりも「非難」する(責めとがめる)形となっています。

 例えば、はじめに(p5)では「正確に言うなら、環境保護論者(原発推進=環境破壊なので)」「映画で語られるまやかし」「原子力産業が儲けるために意図的に作られている」「“不作為の罪”も暴いていく。彼らは重要な事実を語らないで利点だけを強調する。事実を含めれば利点など消えてしまうから」など大変辛らつな言葉が続いています。

 これでは、対立相手は真摯な議論どころか何の対応もする気にはならないでしょう。



 つぎに、反論を行なう(「嘘を暴く」)のであれば、相手のどのような考え(前提・認識・判断・主張)に対して、なにがどのように間違っているかを具体的に指摘するべきです。しかし、5人の転向者の考えに対する直接的な反論は本レポートの中にほとんど見出せません。
 転向者が期待している新型原子炉については比較的詳しく記述されていますが、その他については以前からからの反原発の主張を繰り返しているだけとなっています。

 これでは、キャッチボールであるべき議論になり得ません。

 

 特に、今回の相手は過去に反原発の指導的立場にあった人々なので、本レポートに記述されている反原発の主張は充分に理解しているはずです。
 また、転向者は放射能汚染の脅威については反原発派の主張を否定していませんし、その思いも理解しているはずです。注-1) そのため、本レポートの半分近くを占める原発による健康リスクの主張は‘パンドラの約束’に対する反論書としてはほとんど意味がありません。


 彼らはこれらを充分承知していながら何らかの理由で転向した訳なので、その転向理由に対して具体的に反論すべきでしょう。

 彼らのインタビューに転向理由と思われる言葉が出てきます。

 @(京都議定書は可決されたが)国際的な条約にはならないでしょう。皆が解決の場から出て行ってしまった。(マイケル・シュレンバーガー)

 A化石燃料を太陽光や風力等に置き換えるなど夢物語です。これには失望し、説を広めた人に怒りを感じました。(マイケル・シュレンバーガー)

 Bエネルギーと生活の質には相関性があります。人類の半数以上を貧困や短命にしたくなければ、より多くのエネルギーが必要です。(リチャード・ロス)

 C2050年までの(地球でのエネルギー)使用量は2倍になります。今世紀末には3,4倍になるでしょう。 (マイケル・シュレンバーガー)

 D(死亡率に関して)原子力は風力に次いで安全なのです。原子力は太陽光パネルよりも安全です。 (マイケル・シュレンバーガー)

 Eバナナを1本食べることで、原発から出る水を飲むよりも被曝量は大きいのです。 (グイネス・クレイヴィンズ)

 F(放射性廃棄物処理場で1兆円もが使われていることに関して)「守ろうとしている1万年先の未来ってなんだよ」と思いました。 (スチュアート・ブランド)

 Gフランスの80%の電力を担う50の原発からの廃棄物は部屋一室分にも満たないのです。(マークライナース)

 H一体型高速炉のような第四世代は今までの原発が出した廃棄物を燃料として使えます。進行波炉などのタイプは一旦点火すれば60年以上補充なしで使えます。 (スチュアート・ブランド)

 I米国の電力の20%を担う原子力の半分はロシアの核兵器を再利用したものです。 (スチュアート・ブランド)


 これらの言葉には、インタビュー故の説明不足や誤解されやすい表現はもちろんのこと、「事実判断」として不適切なものや明らかに間違っているものなどが含まれているでしょう。これら問題点を明確に指摘し、具体的に反論することが必須です。


 特に、D、E、G、Iはきわめて具体的な事実に関するものなので、反論がなければそれが正しいことになってしまいます。

 @、A、C、Hは最終的には実現可能性(Feasibility)が課題となるものなので、定量的な根拠と論理に基づいて丁寧に反論する必要があります。
 本レポートにA、Hへの反論はあるのですが、必ずしも充分ではありません。特に、Aについては次章9.で示すように信憑性に問題があります。

 また、B、Fは価値判断の比重が大きいのですが、価値判断だけを議論しても意味はありません。関連する他の事実判断を押さえてから議論すべきでしょう。


 なにも具体的な反論がなければ、5人の転向者は再反論(ボールの投げ返し)のしようがありません。

 


 以上のように、「偽りの約束」では、正しい「事実判断」に有効な『対立相手との真摯な議論』は期待できそうにありません。
 実際、本レポートは発行されて1年以上経ちますが、これに対する再反論は出ていないようです。極めて残念なことです。

 

 

注-1)転向者の一人マーク・ライナースは事故1年後、福島第一原発から2kmでの現地調査中に次のように話しています。
「なぜ人々が原子力を怖がるのかようやく分かった気がするよ。なんだか不気味だものね。だから僕は戸惑っているんだ。なぜ原発をなくしたいのか本当にわかるから。」

 


9.「偽りの約束」 2/2  -原発推進への一般的反論-  2014.12.8 (更新 2014.12.24)

 本章では、一般反論書としての「偽りの約束」における、「事実判断」の妥当性とそれによる反原発運動への影響を検討します。


9-1 「事実判断」の妥当性
 本レポートは、基本的には多くの既出文書を根拠に結論を導いており、決してレベルの低いものではありません。しかしながら、「事実判断」に関してふたつの問題点があると思います。


1)甘い判断
 第一の問題点は、原発と化石エネルギーの全廃が「政治的決断だけで実現可能」(P8)ときわめて甘い判断をしていることです。根拠の既出文書は米国でのPossibilityを示しているだけで、「90億人にいきわたらせるためにはエネルギー節約が不可欠」(P9)との前提条件も付け加えられています。たとえ米国で全廃できても地球的には無意味ですし、世界全体でのエネルギー節約はとても困難です。

 もっとも不適切なのは実現可能の意味合いです。Feasibilityは実現できる可能性の存在、つまり、いくつもの障害に抗してそれが実際に成し遂げられる見込みがあることを意味し、一方Possibility は実現不可能ではない、つまり、実現するポテンシャル(潜在能力)があることを意味します。本レポートではPossibility を示しているだけであってFeasibilityは充分に検討されていません。

 実際、複雑な問題をあまた抱えて常にことごとく対立している国際社会では、この20年間温暖化対策はほとんど進んでいませんし、今後すぐに有効な対策が取られるとは到底考えられません。世界最大のCO2排出国である中国は少なくとも2030年まで排出量を増加し続けることがはっきりしています。
 Possibility とFeasibilityには決定的な乖離があるのです。


 そのため、「政治的決断だけで実現可能」(P8)でなく、「政治的決断で、理論的には不可能ではない」がより正しい「事実判断」となるでしょう。 注1)

 

 地域・前提のあいまさやFeasibilityの無視には「事実<<価値判断」のバイアスが、個々の根拠の是認や「政治的決断だけで実現可能」との最終判断には「循環論法」のバイアスがかかっていると思います。

 

2)偏った判断
 第二の問題点は、原発の健康リスクに関して、危険側に偏りすぎた判断をしていることです。(P17〜26)
 この問題点では不適切な三つの側面があります。

 一つ目はリスクの扱い方です。本質的に、リスクは「あるか、ないか」ではなく「どの程度か」でしか判断できないものなので、そのリスクを数量(定量)化し他のリスクと比較することが不可欠です。しかし、このような観点での検討はほとんど行なわれていません。 注-2) 

 二つ目は都合の悪い事実を無視していることです。根拠の既出文書は特定の著作や記事・私信がほとんどで、これらとは結論の異なる数多くの論文・報告書はすべて無視しています。本文中においてもいくつもの事実を無視しています。注-3)
 (これでは、5人の転向者に対して投げつけた“不作為の罪”(前章8.)が自らに返って来てしまいます)

 三つ目は陰謀論思考になりかかっていることです。「データを隠して低い数値を公表していた」(p20)として、国連傘下の国際原子力機関(IAIE)だけでなく世界保健機構(WHO)の報告まで否定しています。

 

 数量比較の無視や“不作為の罪”、および陰謀論思考には「事実<<価値判断」のバイアスが、個々の根拠の是認や原発は危険との最終判断には「循環論法」のバイアスがかかっていると思います。

 

 以上のように、「偽りの約束」には「事実判断」の“甘さ・偏り”が目立ちます。

 「原子力推進プロパガンダの嘘を暴くために」と謳っている「偽りの約束」が、対立者からは「嘘」と言われても致し方ない点を含んだ「反原発プロパガンダ」に見えてしまうのは残念なことです。

 

9-2 オオカミ少年
 これら「事実判断」での“甘さ・偏り”は、自ら反原発の流れを弱体化させてしまうのではないでしょうか?  とても心配です。


 同様の“甘さ・偏り”は反原発派の主張でたびたび目にします。福島原発の事故以来、「年内には人がバタバタと倒れる」「子供の鼻血が増えている」「のう胞が激増している」「奇形児が増える」「3年後には大量の死亡者が出る」「甲状腺ガンが多発している」などと声高に叫ばれ、その度に世論の注目を集めましたが、それらが間違いと分かると世論の反原発運動に対する信頼は低下してきました。

 反原発派の人々は、将来の大事故による甚大な被害を理解してもらうためには「年内には人がバタバタと倒れる」など小さな事は多少誇張になったとしても構わない、と考えているかもしれません。しかし、昨今は「嘘」が厳しく追及される社会となっているので、たとえ小さな事でも不誠実な間違いは「嘘」と見なされて強く批判されます。肝心の基本的な主張に対しても信用を失います。
 故意ではないにしろ、結果的には‘オオカミ少年’になってしまっています。

 実際、再稼動第一号となる川内原発に関しても、反原発派は巨大噴火による脅威を強く訴えましたが、正しい「事実判断」だったかもしれないその主張に関心を寄せる人々はほとんどいませんでした。

 

 最終的な結末としても反原発派にとって不本意な結果になる可能性があります。「嘘」への厳しさは今後ますます強まるのに反原発派が‘オオカミ少年’のままであれば、世論は原発派推進派の主張に傾き、温暖化対策として原発が増設されてしまうことにもなりかねません。そして、原発社会が出来上がってしまった後に、反原発派の基本的な主張が正しかったことが判明したとしても、すでに手遅れです。

 

 6.章では基本的な「事実判断」が間違っていた場合に最悪な事態になるとしましたが、このように基本的な「事実判断」は正しいものの小さな「事実判断」が間違っていた場合でも同じような結果になり得ます。

 この場合、当事者の責任は特に厳しく追及されることになるでしょう。もちろん、後から「基本的には我々が正しかったのに、小さな事で我々を批判した者たちのせいだ」と言っても許されるわけではありません。

 

 もっと優れた(少なくとも上記の点が改善された)反論書が世に出ることを強く望みます。これは、地球上のすべての人々とその子孫の望みでもあるはずです。

 

 

注-1)別途、「2050年までに再生可能エネルギーだけで全世界がまかなえる方策がわかっている」(P10)との楽観的な記述もあります。この根拠はWWFによるレポート「The Energy Report - 100% Renewable Energy By 2050」とされ、その日本語要約がネット上で公開されています。
 http://www.wwf.or.jp/activities/lib/pdf_climate/green-energy/WWF_EnergyVisionReport_sm.pdf 

 このWWFレポートでは以下の必要性を主張するだけで、これらのFeasibility についてはほとんど検討されていません。
・エネルギー需要を予測の半分にする。(省エネ技術をいかに早くにグローバル規模で本格展開できるかどうかが課題としている)
・再生エネルギーの40%をバイオマスでまかなう。 
・風力や太陽光のような変動電力は全電力の60%とする。(技術および電力網管理の進歩により可能としている)
・大規模な初期投資を行なう。(長期の投資回収の枠組みが必要としている)
・世界の富裕層に対して「何らかの成長制限」や「肉の摂取制限」を行なう。

 特に、バイオマスでは、@コストが高い、A食料供給を圧迫する、B耕作地開拓により環境が破壊される、C有害物質が排出される、D輸送まで含めたCO2低減効果は薄い、などの問題点が指摘されています。さらには、バイオマスは温室効果係数の高いN2O排出によって地球温暖化にとって逆効果、とのノーベル化学賞受賞者の見解もあります。

 

注-2)自分の意識のなかではリスクは「あるか、ないか」になりがちですが、「ない」は単に気づいていないだけですし、逆にひとつのリスクだけに注目していればとてつもなく大きなリスクと感じてしまいます。前者は「知らぬが仏」、後者は「杞憂」「疑心暗鬼」でしょう。

実際には我々は数多くのリスクに囲まれているので、数量(定量)化によってはじめてその状況が正しく理解できます。しかも、互いにトレードオフとなるものも少なくありません。例えば、水道水の塩素には発がん性があるものの、消毒をやめれば感染症被害が発生します。そこで、この両リスクを厳密に数量(定量)化して、”最善”の塩素量が決められています。なお、”最善”はリスクをゼロにするのではなく、両リスクのトータルを極小にする条件です。
 「塩素はとても危険だ!」だけでは意味がありませんし、「がんリスクをゼロに!」はかえって危険を増すことになるのです。

また、リスクはベネフィットと裏表なので、そのバランスを考えることも重要です。例えば、予防接種には大きなベネフィットがありますが、副作用リスクを過大に怖がって予防接種を避けるのは適切ではありません。

すべてのリスクのトータルが最小に、それぞれに伴うベネフィットのトータルが最大になるようにすべきなのです。

 

注-3)原発施設からの漏れ放射線をさかんに指摘していますが、それに比べれば桁違いに高い自然放射線(日本平均で年2.1mSv)については「逃れる手段がない」(P27)として無視しています。
 カリウムの体内濃度恒常性からカリウム-40を含むバナナ摂取による被曝はゼロとしています(P27)が、その恒常的に存在していているカリウム-40による被曝は無視しています。
 自然放射線以上に医療放射線(日本平均で年3.9mSv)が高いこと、原発は火力発電や太陽光発電よりも死亡者が少ないこと(前5章 注-1))も無視しています。

 


                       前ページ     次ページ