パンドラの約束  F-5-6

 

10 無信念派が貢献できること  2014.12.24              

10-1 無信念派の出番

 前章までで示してきたように、反原発vs原発推進の信念対立の支配要因は「事実判断」の違いであり、基本的にはどちらかの「事実判断」が間違っています。そして、正しい「事実判断」のためには『事実に限定した対立相手との真摯な議論』が最も有効(前6章6-3)なのですが、現状はそれに程遠い状態(前8章)になっています。

 両派にはもっと謙虚・賢明になって、ぜひとも『真摯な議論』をしていただきたいのですが、外からのなんからのアクションがないかぎり今後も期待できないようです。それなら、第三者、つまりどちらの信念も持っていない人々、言わば「無信念派」が動くしかありません。

 実は、将来の幸不幸から見れば、無信念派は第三者と言うよりも運命共同体の一員です。もし両派どちらかの間違った「事実判断」に基づいた社会が出来上がってしまえば、無信念派(とその子孫代々)も一緒に苦しむことになるからです。

 また、両派から見れば、無信念派は第三者と言うよりも「大切なお客様」です。無信念派に自分たちを支持してもらうことが自分たちの信念を実現させるために必須だからです。

 

10-2 議論の仲立ち

 では、無信念派はどのような貢献ができるのでしょうか? 

 まず、『事実に限定した対立相手との真摯な議論』が実現しない要因を確認します。恐らく、両派は次のように考えているのでしょう。
  ・『真摯な議論』に必要性と有効性が感じられない。面倒なだけ。
  ・対立相手は憎い敵。頭はまともでないし嘘もつく。
  ・批判に対してその場でうまく切り返せる自信がない。
  ・批判を受けて自説を訂正すると、それを宣伝に利用されそう。
  ・対立相手の意見がばらばらで、誰を相手にすればよいか分からない。
  ・論理的なやりとりは好まない。(自分自身が感情的な言動をしている)
  ・まともな議論は不利となる。(戦術として誘導や煽りの作為を行なっている)

 一方、議論における無信念派のメリット(地の利)としては、「循環論法」「事実判断<<価値判断」に陥らないこと、両派にとっては倒すべき敵ではなく「大切なお客様」であることです。

 

 これらから考えると、無信念派が貢献できることは、自分たちが仲立ちとなって両派に『真摯な議論』をしてもらうことになるでしょう。提案したい具体策は、次のようなステップになります。(図5にイメージ図)

 @ 一方の「事実判断」を参考にして、他方の「事実判断」の問題点を指摘する。
  A 指摘された「事実判断」が修正される。
  B (@と同じ。ただし、両派入れ替え)
  C (Aと同じ。ただし、両派入れ替え)
  D 以後、@〜C を繰り返す。 

  

 指摘(@・B)は無信念派によるもの、修正(A・C)は指摘を受けた両派によるものです。 前章8、9「偽りの約束」1/2,1/2 は指摘文の一例となります。

 両派にとっては指摘してきたのは「大切なお客様」であり、その支持を獲得するよい手段になるとの思惑から、先の要因の多くは無関係となり、むしろ積極的に修正(A・C)することになるでしょう。

 

 これにより「事実判断」の中身はレベルアップされます。明確な証拠・根拠、論理による「事実判断」と対立相手への適切な批判は残る一方、甘く偏った「事実判断」や対立相手への貶めは消えているでしょう。

 このやり取りを続ければ(@〜C を繰り返せば)、これこそ実質的には両派による『事実に限定した対立相手との真摯な議論』となります。
 (ある程度議論がかみ合ってきたら両派は直接議論を始めるかも知れませんが、それは望ましいことです。まさか不毛な議論に後戻りすることはないでしょう。

 

10-3 不可欠な条件

 本策の実現には不可欠な条件があります。

 第一に、なされる指摘が適切でバランスの取れたものであること、つまり両派の感情的な言動や戦術としての作為に左右されずに、あくまで公正・客観的に事実のみに関して問題点を指摘することが不可欠です。

 第二に、これらすべてのやり取りが広く伝達されること、つまり両派の「事実判断」がそれに対する指摘とともに記録され、誰もがそれを目にできるような情報伝達システムが不可欠です。

  第三に、多数の無信念派の注視、つまり両派をして「無視したり、いい加減な修正をすれば無信念派に見放される」との危機感を覚えさせるような監視力が不可欠です。

 

 現実的には、第一と(特に)第二の点から、既存マスコミに関わっていただき、無信念派の代表として本策を主催してもらうしかないように思えます。マスコミは議論の基盤となる事実関係にもっと積極的に関わるべきなので、本策の活動はそれに相応しいものとなるでしょう。 注)

 例えば、科学部担当の連載記事として紙上やネット上で公開すればよいと思います。週1回の連載なら1年程度で主要な議論は尽くされてしまうでしょう。

 

10-4 可能性と限界

 本策による成果の可能性と限界について確認します。

1)可能性 

前章8、9「偽りの約束」1/2,1/2 を指摘文とした例では、原発と化石エネルギーの全廃に関しては、PossibilityでなくFeasibilityを中心に検討し、地域や前提も明確にしたものに修正されるでしょう。原発の健康リスクに関しては、リスクが「あるか、ないか」ではなく「どの程度か」(定量性)を中心に検討し、根拠も公平としたものに修正されるでしょう。
 また、原発推進派からの批判(例えば前8章 @〜E)に対する反論も確実に行なわれるでしょう。(「偽りの約束」では無視されていますが・・・)


 このように、不適切な前提・枠組みや必要レベルに達していない検討、および偏った根拠など明確に指摘される部分は、本策によって修正されるでしょう。(主に「事実判断<<価値判断」による問題点が該当)

 こうして重要な「事実判断」はレベルアップされ洗練されて、より正しいものに近づくはずです。と同時に、指摘にしっかり答えられないものや無信念派への説得力に欠けるものは消えていきます。


 また、感情的な言動(ヒートアップ、中傷合戦など)や戦術としての作為(誘導や煽りなど)、および“不作為の罪”(不都合な真実や自分への批判の無視)も消えていきます。

さらに、岡目八目であるが故に、「前提・枠組みの違い」「情報不足」(前6章)など対立している当人には気づきにくい点についても的確に指摘され、修正されるでしょう。

 

2)限界

 1)とは反対に、問題点を明確に指摘しにくい部分、特に@専門性の高い問題、A社会・政治など科学以外の問題、B将来の予測、は修正されずに残ってしまいます。(主に「循環論法」による問題点が該当)

前章9.「偽りの約束」2/2 の例では、この3点すべてが関わる新型原子炉については指摘することが出来ませんでした。また、Feasibilityの検討が必要と指摘しましたが、Feasibilityの具体的な検討内容にはこの3点が深く関わってくるので、その次の指摘は難しくなるでしょう。個々の根拠、特に専門的文献についての指摘も容易ではありません。

 このような部分については、指摘(および監視)にその分野の専門家を起用することである程度はカバーできるでしょうが、限界はあります。やはり、分野ごとに両派専門家同志の直接の議論が必要となります。

 さらに、本策では信念対立の支配要因となっている「事実判断」に限った議論を想定していますが、「事実判断」の議論があるレベルに達すると次第に“価値判断”も絡んだ複眼的な議論になるはずです。このような議論では仲立ち方式は無理で、関係者による直接の議論が必要となります。

 

以上のことから、本策は、”不毛な信念対立”を“健全な信念対立”に転換させて、“健全な信念対立”の道半ばまでは推し進めることが出来ると言えるでしょう。

 

 全10章にわたった本論考では、反原発vs原発推進での信念対立を「事実判断」の切り口で検討してきましたが、ひとつの具体策の提案をもって完結させたいと思います。

 

 

注)マスコミは両派識者の主張も示しますが、読者にとっては、これらに含まれる「事実判断」は断片的であるだけでなく肝心の真偽が不明です。その人なりの “価値判断”とは全く違って真偽(あるいは適切/不適切)のある「事実判断」を何の検討なしにそのまま示してしまうのは、社会の公器として問題があると思います。このような時にも、本策を進めておけば適切に対応することが出来るでしょう。

 

なお、議論は客観的な事実に限定されているので、主催するマスコミは厳密に中立(無信念)である必要はないでしょう。無信念派代表の立場を守ってもらえるだけで問題ないと思います。

 


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