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原発災害シンポ F-2-5
10 データに基づく安全宣言 反論データなし 1/3 2013.8.31
本10章・11章・12章にて、“危険陣営”の「事実軽視」に関して考察します。
坪倉正治医師を紹介したプロフィールでは「坪倉氏は東京大学医科学研究所の大学院に在籍しながら、東日本大震災発生後、医師不足が顕著になった浜通り地区にて医療支援を続けている。南相馬市立総合病院に導入されたホールボディーカウンター(WBC)で、今年8月までに2万人の内部被曝検査を行った。現在は南相馬市だけではなく、相馬市、いわき市、平田村からの協力要請に応え、県民5万人の検査に寄与、各病院での勤務を続けている。」となっていました。このWBCで構築したデータによる結論が注目を浴びています。
シンポジウムの講演で、坪倉氏は「セシウムによる内部被曝は次第に低下しており、現在はかなり低いレベルとなっている。今後も食事に気をつけていれば健康被害は出ないだろう」と判断していました。右下(図9)がそのデータです。
講演中の坪倉医師 内部被曝量(検査月別セシウム検出率)の低下を示すデータ いずれもIWJによるWEB中継より
これはとても大胆な「安全宣言」です。もし坪倉氏のデータに間違いがなければ、現在の数値は脅威派の求める厳しい値もクリアーしそうで、確かに安全と言ってよいことになります。そうであれば、最も心配されていたセシウム内部被曝による健康被害に関しては、“危険陣営”の主張が根底から揺さぶられるものとなります。
しかしながら、会場からは坪倉氏への反論はありませんでした。多少批判的な質問はありましたが、それに対する坪倉氏の回答におとなしく頷いていました。一見すると、会場の誰もが坪倉氏に同意しているように思えます。
これは全く奇異なことです。会場の大勢であろう“危険陣営”、特に脅威派の人々は当局を激しく非難しているにも関わらず、その当局が方針根拠として重要視しているはずの坪倉氏に対してはしゅんとなっているのです。
シンポジウム以外でも、坪倉氏の判断への”まともな”批判・反論は見たことはありません。シンポジウム外では矢ヶ崎克馬氏からの批判文(2013年2月)がありますが、ほぼ半分が個人攻撃、残りが一般的な科学理論の説明で、科学ではなく個人攻撃の方に力が入っているようです。科学理論の方も同じ“危険陣営”の学者から疑問視されてしまう状態で、妥当な批判とは言いがたいものです。
なぜ“危険陣営”は坪倉氏の判断に対してまともな反論をすることが出来ないのでしょうか? それは要するに「データを持っていない」からです。参考にしかならないチェルノブイリのデータではなく、実際の福島のデータを持っていないからです。坪倉氏は福島のデータ、しかも自分で構築した質・量ともに圧倒的なデータを持っていますので、“危険陣営”はこれに正面から切り込むことが出来ないのです。
データがなくても当局に対しては政治的な言葉で非難することは出来ますが、データなしでは坪倉氏に対しては何の科学(医学)的な反論も出来ないわけです。
11 “危険陣営”の事実軽視 反論データなし 2/3 2013.8.31 (更新 2015.1.11)
前章のように本講演会では“危険陣営”はデータがないため坪倉氏に何の反論も出来なかったのですが、一般的にも“危険陣営”はデータへの関心が薄いように思えます。安全派と事実認識に大差がない慎重派はともかく、被曝被害を確信し安全派・当局を激しく非難している脅威派が、その根拠となるべきデータをわずかしか持っていないこと、しかもそれをあまり問題とせず新たなデータ収集への努力が足りないことは本当に不思議です。
率直に言わせてもらえば、脅威派の人々には真面目で熱心、思いが深くて行動力はあるのですが、冷静な判断力・緻密な論理力・バランス感覚に弱みがあるとともに、データへの無関心など「事実軽視」の傾向が根深く潜んでいるように思えます。
「事実軽視」を浮きぼりにするために、坪倉氏と脅威派の“考え方のポイント”を比較してみました。
坪倉氏:1)被害最小化には、被曝の“量”を明らかにするのが肝心。
2)データがなければ、苦労してでもデータを構築することが必要。
3)データを詳しく検討した結果、安全であると判断。
脅威派:1)当局は信用できないので、脅威があると判断。
2)当局には徹底対策の要求、世論には脅威の広報、安全派には強烈な攻撃が必要。
3)被害最小化には、これらの主張を強力に展開することが肝心。
以下、このポイントに沿って説明します。
脅威派:1)での当局不信は脅威の根拠とはなり得ないので、脅威があるとの判断は事実に基づいていません。当局不信以外にも、脅威派の主張に共感を覚えた、いくつかの健康不調は放射線が原因のはず、など単なる感覚や予断で脅威派になっている人が少なくありません。脅威派では、このような事実関係のあいまいな判断が少なくありません。これらは、坪倉氏:1)→2)→3)による慎重かつ客観的な判断とは全く異なり、「肝心」「必要」「判断」も真逆になっています。
また、脅威派:2)、3)にあるように、脅威派は自説の主張には大変熱心ですが、事実の探求にはあまり熱心ではありません。本来なら、重大な事実を見出してこそ強力な主張が出来るはずなのですが、実際には主張を強く出すためにかえって事実がなおざりにされています。言わば「事実よりも主張」になっています。
さらに、脅威派は事実に対する真摯さ・厳しさに欠けていると思えます。今まで、1年以内に人がバタバタと倒れる、子供の鼻血が増えている、のう胞が激増している、などが喧伝されてきましたが、いずれも事実ではありませんでした。
量の把握(定量)に関しても甘さが見られます。当然ながらリスクは放射能線量に応じて何桁もの差があるのに、放射能が少しでもあればそれで「よし(脅威あり)」としています。他の様々なリスクとの定量比較はしませんし、「福島の知人が突然死した!」の類を広めているサイトすらあります。 坪倉氏:1)、2)のような真摯さ・厳しさは見られません。
以上は脅威派に関してですが、慎重派でもイメージとしては脅威派と同じような事実認識を持っている人々も少なからずいます。(前章3)
このような状況なので、“危険陣営”には「事実軽視」の傾向がある、と言われても仕方がないと思います。
注) 一部の脅威派では、このような消極的な傾向に留まらず、自分に都合のわるい事実を無視する、あるいは相手を攻撃するために事実を歪曲するなどの積極的な行動すら見られます。
12 “危険陣営”の責務 反論データなし 3/3 2013.8.31 (更新 2015.1.11)
前章で示した脅威派など “危険陣営”の「事実軽視」は一体何を引き起こすでしょうか? 残念なことに、これは脅威派の主張に対する世論の信頼を損ねてしまいます。人がバタバタ倒れる、鼻血・のう胞が増えたとの主張は一時的には世論を引き付けたかも知れませんが、事実が判明した後には世論の信頼を落としました。(前章3 「危険性を訴えても、変な人!と一蹴される」)
そして、 この“危険陣営”の信頼失墜によって、世論は “安全陣営”の主張を無批判でそのまま信じ込むようになってしまいます。実際、これがもっとも恐ろしいことであり、すでに進行しつつあるとも言えます。
データに裏付けされた坪倉氏の判断は大変説得力があるので、しだいに世論の支持を得るようになっています。しかし、坪倉氏一個人(正確には、早野龍五氏などの協力者を含めた一グループ)のデータとそれに基づいた判断には、当然ながらいろいろな問題点があるはずです。様々なミス、仮定・前提の不備、方向性の間違い、論理の甘さ、無理な一般化、等々。
しかし、このような問題点は自分(たち)には見えないので、本人にはどうしようもありません。異論を持つ者からのしっかりとした批判・反論、そして彼らとの真摯な対話・議論によってのみ、問題点が明らかとなって修正され得るものです。(本サイトであるべきものとしている“健全な信念対立”です)
シンポジウムでも坪倉氏自身が、反対意見の人との対話がないことは問題だとおっしゃっていました。
また、坪倉氏に対する直接的な批判・反論のためだけでなく、より正しい判断を下すために全く新しい切り口でのデータ構築も必要です。闇の中に隠されている事実群の一部が坪倉さんのスポットライトで照らし出されましたが、もしかしたらすぐ横にはそれとは大きく異なる事実が隠されているかも知れません。
これら安全見解に対する批判・反論や別の切り口のデータ構築は、一体だれの責務になるのでしょうか? それは、安全との判断に同意していない“危険陣営”の責務になると思います。
もし、これらがなされなかったために坪倉氏の安全との判断が社会的に確定し、それに基づいて避難住民の帰還などの施策方針が決められたとします。その後にその判断が間違っていたことが分かっても、すでに手遅れとなり大きな二次被害が発生するでしょう。その時には、“危険陣営”は坪倉氏と同程度の責任(不作為責任)を負うべきだと思います。
恐らく“危険陣営”、特に脅威派の人々は水俣病の悲劇、すなわち被害が出はじめていたのに原因確定まで対策がなされずに甚大な被害になってしまった水俣病の悲劇を胸に刻んでいると思います。確かに、水俣病の初期段階では、細かい事に拘泥せずに危険を声高に主張することが必要だったでしょう。それによってこそ、被害を無視し続ける企業や腰の重い県・国を動かすことが出来たのだと思います。
しかし、その後も原因がなかなか確定しなかったのはデータが十分に得られなかったためです。当時、もっともらしい説がいくつも現れて混乱したのも、か細いスポットライトに照らされたごく一部の事実からはどの説も否定できなかったからでしょう。最終的に原因が確定されたのは、遅まきながらも事実群がより広く照らされるようになったためです。
被曝被害に関しても、事故直後での脅威派の主張には意義があったと思われますが、事故から何年も経過した今では徹底した事実追求こそが重要となっています。そんな時に、自らの「事実軽視」故に本来の思いに反する状況、すなわち世論が安全見解をそのまま信じ込むような状況になるのは当人にとって慙愧に堪えないでしょう。また、事実群を別角度から照らすと言う極めて重要な作業がなされないことは、福島県人・日本国民にとって損失になります。(まさに”不毛な信念対立”です)
そこで、“危険陣営”には、 “安全陣営”のデータに対抗し得る確かなデータの構築をお願いしたいと思います。例えば、尿検査をすべしと主張しているのであれば、実際に自ら大規模な尿検査を行ないそのデータを構築していただきたいと思います。脅威派には何人もの医師がいますし、福島県内でその趣旨に賛同する病院も数多くあるはずです。坪倉氏:2)と同じように大変な苦労はすると思いますが、出来ないはずはないでしょう。
そして、そのデータを基にして、
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