研究 T編 予備的な検討
  T-2章
 信念対立とは? 不毛な信念対立とは?   1-2
                                                                  

1. 信念とは
 信念とは、辞書によると「正しいと信じ、堅固に守る自分の考え」となる。しかし、信念の抽象性/具体性にはかなりの幅があるので、抽象的信念と具体的信念に分けて考える。
 前者は「人類にとってなによりも大切なのは環境保護である」のような抽象的で概念的なもの、後者は「原発は**年以内に撤廃すべき」のような具体的で実際的なものとなる。実社会への影響は前者では間接的、後者では直接的となる。
 さて、対立は具体的信念と抽象的信念のどちらで発生しているか? 両者の関係は? 不毛な信念対立を考える本研究では両者をどのように扱うべきか? 実例から確認してみたい。

 「なによりも環境保護」と「なによりも経済成長」は相反する抽象的信念であり、原発に関してはそれぞれに基づいた「環境汚染をもたらす原発は撤廃すべき」と「発電コストの安い原発を存続すべき」が相反する具体的信念になっている。
 しかし、具体性のない「環境保護 vs 経済成長」では議論にもならないので、実際に対立が発生しているのは「撤廃 vs 存続」の具体的信念だけである。
 なお、「なによりも環境保護」に基づいていても、「放射能汚染よりも深刻な地球温暖化を回避できる原発を存続すべき」との具体的信念もあって、これは先と真逆の関係となっている。

 また、「人の生命は地球より重い」はほとんどの日本国民が持っている抽象的信念であろうが、それに基づいた具体的信念である「死刑制度反対」は少数派になっている。

 さらに、「真理の探究」は科学者共通の抽象的信念のはずであるが、各々の「自分の信念こそ真理」との具体的信念で喧々諤々の議論が行われている。

 以上より確認できることは下記となる。
 @抽象的信念では対立は発生しないが、具体的信念で対立が発生して不毛な信念対立に陥る場合がある。
 A基本的には具体的信念は抽象的信念に基づいているものの、その関係は単純ではない。

 そこで、本研究では具体的信念を「信念」とみなし、抽象的信念は「信念」を生み出すひとつの要素(「価値観」)とみなすことにする。
 したがって、本研究での「信念」の定義は「正しいと信じ堅固に守る自分の考えのうち、具体的なもの」とする。
 なお、本人が信念とは自覚していなくとも持続的な意見・主張であれば、これも「信念」に含めることにする。
 以上まとめると表1となる。

表1
 

なお、「信念がぶれない」「信念を貫く」などの言いまわしがあるが、ここでの信念は本人の個人的な決断や意志を示しており、やはり対立は発生しないので本研究での「信念」とは異なるものである。

2. 信念対立とは
 まず、本研究では信念対立を「ある案件に関して、正しいと信じ堅固に守る自分の考えを持つ両当事者が、反対の立場で互いに譲らない対立」と定義する。

 つぎに、多くの対立の中での信念対立の位置づけについて確認する。
 人間同士、あるいは人間の集団同士の対立を前提にするとその中には、第一に、案件をめぐって両者の信念が対立している「信念対立」がある。
 第二に、案件による利害が両者で一致せず、損得勘定の駆け引きが露骨になっている「利害の対立」がある。第三に、案件や信念は無関係で、対立相手の人格や資質に対して嫌悪し反発する「相手との対立」もある。第四に、自分の利害や信念を押し通すために、権威・謀略、および暴力などの力に訴える「力の対立」もある。

 当然ながらこれら対立の境界はクリアーではなく一部は重複し、また、同一事例でも当事者や場面などで状況は異なるだろう。しかし、これらの対立には質的な違いがあるため、この分類は信念対立の考察を進めるために有効となる。
 これらの関係を図1に示した。

図1

 
 実際の事例を図1に対応させて配置すると図2となるであろう。
 上方の黒字の事例が「信念対立」である。下方のグレー字の事例は「利害」「相手」「力」の対立であり、信念がない、あるいは付随的なので「信念対立」とは言えない。
 たとえば、同じ地球温暖化に関する対立であっても、科学的事実に関する「信念対立」である「地球温暖化(原因)」と国益をかけた「利害の対立」である「温暖化対策の国際会議」では質的な違いがある。

図2


3. “不毛な信念対立”とは
 しっかりとした信念を持ち、自分とは異なる信念との間で対立(信念対立)することは必ずしも悪いものでも、避けるべきものではない。むしろ、一個人は極めて限られた経験・知識・能力しか持ち合わせていないので、そこから得られた一個人の信念は、必然的に如何ともしがたい限界を持っているはずである。
 そこで、この限界を超えて、より正しい、より高いレベルの信念に発展(止揚)させるためには、対立相手との真摯で建設的な議論は不可欠であり大変有効であろう。さらに、信念の発展は、よりよい行動・選択につながり、結果的には当事者のみならず関係者全員に利益をもたらすことにもなろう。このような、いわば”健全な信念対立”は大変良いこと、望ましいことである。

 しかしながら、現実には大変残念なことに、”健全な信念対立”とは真逆の“不毛な信念対立”が巷にあふれている。
 たとえば、2011年3月の福島第一原発事故以来、原発関連の諸問題は日本中での一大争点となっており、特に低線量放射線による健康被害のリスクを評価する「被曝リスク」、および将来のエネルギー政策を問う「原発の撤廃vs存続」の両案件に関しては鋭い対立が続いている。当事者は自分の信念に基づいて主張しているのであるが、誠に残念なことに実りある議論は皆無と言ってよいほどで、議論はかみ合わずに互いに一方通行となっている。さらに、揚げ足取りや非難の応酬に終始している場合も多く、案件に無関係な相手の資質・人格への攻撃、誹謗・中傷すら現れている。
 このために、世論も混乱、あるいは無関心となって社会として正しい判断が行われにくい状況となっており、皆が大きな不利益を被る事態となっている。

 このような“不毛な信念対立”を本研究では「正しいと信じる自分の考えを持って反対の立場にある両当事者が、議論をしてもその成果を実らせずに、あくまで自分の考えに固執する対立」と定義する。

  ”健全な信念対立”と“不毛な信念対立”のイメージを図3に示す。上方は”健全な信念対立”、中央から下方までは“不毛な信念対立”となっており、下に行くほど不毛性が強くなるとしている。

 図3

 いくつかの事例のイメージマップを図4に示した。かなり大まかではあるが、各事例の不毛性の強弱が上下位置で示されている。青字は”健全な信念対立”、黒字が”不毛な信念対立”である。

 図4

以上の対立を整理すると図5となる。

図5



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