「不毛促進行為」を阻止するには   F-7-3


3. 戦略的な確信犯 2018.11.28

次に、Bの戦略的な確信犯に対する「不毛促進行為」の阻止策です。改心してくれるのがベストですが無理そうなので、次の二つが考えられます。


1)確信犯の行動を抑え込む

戦略的確信犯は確固たる信念を持っているので、上記2.2)の阻止策@〜Bは無関係となりますし、CDも効果がありません。そうすると、残るはEだけとなります。また、相手陣営からでは逆効果なので自分の陣営の「関係者」にしか期待できませんし、確固たる信念に対しては単なる「諭し」では効果がないでしょう。

よかれと思って行なった行為が陣営に不利益を与えるとの点では、「帝国陸軍内で独断行動に走った関東軍」「共産党内で武装闘争に走った一団」、あるいは架空ですが「会社内で法律無視の受注活動を続ける営業マン」「市民団体内で極端な主張を喧伝する構成員」などに譬えられそうです。これらを手掛かりにすると下記のことを同じ陣営の「関係者」が行うことが阻止策になると思います。

・「同じ陣営(仲間)だから」「志や考え方は同じだから」「陣営内の小さな問題だから」等の思いがあっても「不毛促進行為」を黙認しない。

・「『不毛促進行為』を繰り返す対立当事者は汚れ役になってくれて陣営の役に立っている」との誤った考えを持たない。

・「不毛促進行為」を繰り返す対立当事者は決して味方ではなく、むしろ危険で手ごわい「敵」とみなす。

・以上のことを出来るだけ多くの「関係者」で共通認識した上で、組織的な対処を行う。

・しっかりとした戦略を持って、毅然とした態度で粘り強く批判する。

 

 ここで一つの実例を紹介します。福島原発事故による健康被害に関する対立では、特に反原発陣営において被曝被害を過度に強調する論調が顕著でしたが、これに対して同じ反原発陣営ではあるもののこの対立から距離を置いていた識者(つまり「関係者」)が「この論調は反原発運動にとってマイナスになる」と警告を発していました。(「放射線被曝の理科・社会」 児玉一八、清水修一、野口邦和 P4) これは極めて真っ当な指摘なのですが、あくまで「諭し」レベルで終わってしまったので戦略的確信犯にはほとんど効果がありませんでした。

 

2)確信犯の発生を抑え込む

戦略的確信犯自体を発生させない方法もあります。「不毛促進行為」の成功体験が確信犯を生み出しているのであれば、「不毛促進行為」が成功しないようにすればよいことになります。

上記1.3)の例で言えば、第一に「不毛促進行為」で議論が混乱しないようにします。たとえば、抑え込み側がAの阻止策@〜Bなどによって挑発に乗らないようにします。第二に、世論が味方しないようにします。つまり、具体策は様々でしょうが世論が「不毛促進行為」に安易に反応しないようにします。要は、「不毛促進行為」を相手にしなければよいことになります。

 

4.  無知な過失犯

 最後に、Cの無知な過失犯に対してです。まずは、自分の「不毛促進行為」とその結末に気づくよう「関係者」が啓蒙する必要があります。

 それでも改善されない場合はAでの「関係者」による防止策が必要となります。最悪、確信犯的になってしまったらBでの防止策が必要となるでしょう。

 

5.「不毛促進行為」阻止の実現可能性

 以上様々な「不毛促進行為」阻止策を示してきましたが、これらの実現可能性はどうなのでしょうか? 残念ながら、大方の予想どおりになかなか難しいのは間違いありません。

 しかしながら、対立解消の手段が大昔の「暴力」から現代の「議論(話し合い)」に進化したのと同じように、いずれは「不毛促進行為」から「健全な議論」に進化することもまた間違いないと思われます。

 すなわち、原始的な社会では「暴力」で対立を決する(物理的に相手を打ち倒す)のが一般的でしたが、現代の先進国では「暴力」は強く非難されるべきものとしてきわめて稀になり、代わりに「議論」が道徳になり法律にまでなって一般的しています。これは、「暴力」は皆にとって不利益にしかならないとの理解が周知したためでしょう。
 そこで、その「議論」のなかで発生する「不毛促進行為」は皆が不利益になる点で「暴力」と同じなので、いずれは「暴力」同様に強く非難されて「健全な議論」が一般的になると思われます。


 ただし、「暴力」が退治されたのは、当然ながら暴力を行使する当事者ではなく、その影響を受ける「関係者」による様々なレベルでのたゆまない変革行動があったからこそでしょう。
 ここが重要なポイントとなります。


 そして、「暴力」から「議論」への進化は100年単位だったのですが、「不毛促進行為」から「健全な議論」への進化はもっと早く、恐らくは10年単位になると思われます。社会構造の変革も律法化も必要なく、情報化社会の現代ではこのような変化は極めて速くなっているからです。実際、数十年前ならごく一般的だった家庭や学校での体罰も今では皆無に近くなっています。

 ただ10年単位と言っても、10年そこそこなのか、90年にもなるのか、それはまさに「関係者」の行動次第となるはずです。 (完)

 


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