論考     原発災害シンポ
    F-2-1


目次
1 原発災害シンポの概要
2 被曝許容量の論争                   対立状況  1/3
3 「事実認識に大差なし」                       2/3
4 温暖化人為説・進化論vs創造論との共通性        3/3
5 「自己過信」                        議論なしの理由 1/3   
6 「相手否定」「答え不明」                          2/3  
7 「防衛本能」「世論影響」                         3/3 
8 全般的な解決策                    議論なしの解決 1/2 
9 各理由の無効化                                2/2
10 データに基づく安全宣言             反論データなし 1/3
11 “危険陣営”の事実軽視                        2/3
12 “危険陣営”の責務                            3/3 
13 「すり合わせ」 
14 「お仲間」 


  原発災害シンポの概要     2013.3.29  (更新 2015.1.11)

  福島原発事故からほぼ2年後の2013年2月11日に、東大にて「アカデニズムは原発災害にどう向き合うか」と題したシンポジウムが開かれました。図1はそのポスターです。

図1

  シンポジウムの主旨は以下のように説明されています。

アカデミニズムとは確かな真理を求める場のはずであるが、福島原発災害を通して日本のアカデミニズムが問い直されている。3.11以後、科学者・専門家への信頼が激しく揺り動かされ、それは「安全神話」「原子力ムラ」「御用学者」との言葉に示されている。この事態を受けて有志大学教員による福島大学/東京大学原発災害支援フォーラム(FGF/TGF)は、手探りながら原発災害の適切な情報提示や放射能汚染に立ち向かう実践に取り組んできた。本シンポジウムではFGF・TGF研究者を中心に、今後も長く続くであろう放射能被曝の問題を取り上げて討議するものである。


  このシンポジムは「放射能被曝」がテーマとなっているのですが、それを専門とする研究者は誰も講演者・パネリストになっていません。いずれも医学以外の理系、あるいは文系の研究者であって、放射能被曝の専門家とその見解を拠り処にした大学・県・国当局に対して批判的な立場を取っている方々です。

このため討議内容は、「放射能被曝」が今後どう現れるかとの技術(医学的)的なものではなく、被曝低減に関する当局の対応がいかに不適切であるかとの行政批判的なものが主となっていました。

そのまとめとして次のスライド(図2)が示されていました。ここでは、自分たちを「慎重派」、当局を「安全派」としています。

図2

 

 また、被曝被害は十分に解明されていませんが、このような不確実な問題をどのように評価すべきかと言う問題について深く検討されており、次のスライド(図3)が示されていました。

 図3

また、討議に先立った特別報告では、現地で医療活動をしている坪倉正治医師から、住民のセシウムの内部被曝状況についての詳細なデータが示されました。坪倉氏は基本的には放射能被曝の主流専門家の見解に同意しており、それに基づき福島県では被曝被害の可能性はほとんど無いと判断されていました。一方、市民の立場で活動をしている吉田邦博氏からは環境の放射能汚染状況について報告があり、被曝の危険性を強く訴えておられました。

本シンポジウムの全体的な印象としては、アカデニズムに従事する大学人だけあって概ね冷静な討議がなされているように感じました。例えば、いわば“安全陣営”とみなされる坪倉氏は、会場をうめた“危険陣営”の中で完全にアウェー状態ではあったのですが、彼のデータに基づいた説明に対して感情的な反論はひとつも出ず、むしろ積極的に理解しようとする雰囲気がありました。一方、早川由紀夫氏に対しては、住民に対する情報伝達の仕方について、同じ“危険陣営”である複数の研究者から厳しい異議が示されました。

このようにレベルの高いシンポジウムなのですが、それにも関わらず(だからこそ)“不毛な信念対立”の観点からいくつか気になるところがありました。以下に続く雑感で、これらについて述べたいと思います。

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