研究 T編 予備的な検討
  T-4章
 要素の利用 1-4
                                                                  
                                                                 
1. 要素の利用
1-1 従来例 
 多種多様、複雑で混沌としている自然界を理解するために、アリストテレスはすべての物質は「火」「水」「土」「空気」を構成要素とし、さらにそれらは「熱」「冷」「湿」「乾」の組み合わせで生み出されるとした。
 現代科学では、物質は「分子・原子」を構成要素とし、さらにそれらは「素粒子」を構成要素としている。また、物体の運動は「加速度」「力」「質量」で決定され、さらに力は「重力」「電磁気力」などがあるとしている。これらの要素による物理現象の解析と制御はきわめて大きな成功を収めている。
       
 医学では、患者の全体的な病態理解を重視する東洋医学に対して、西洋医学は病気を発生させる病因(要素)の理解を重視し、これらによる治療もかなりの成功を収めている。

 このように科学・医学の分野では要素がきわめて重要となっているが、その他の分野でも利用例が少なくない。たとえば、要素(構成)心理学では、それ以上分割しえない究極的な要素を見出し,それらの結合や連合から心的現象を説明している。
 また、ビジネス分野では、ある問題がどのような原因(要素)から引き起こされたかを図式化して解決策を見出す手法が普及している。
 科学・医学以外の分野では物理学ほどの成功はなく当然ながら限界もあるが、対象理解と問題解決のために要素の利用は有効であると言えよう。

1-2 “不毛な信念対立”での期待
 本研究では『要素』の利用を柱とする。
 これによって“不毛な信念対立” に関して下記のことが期待できる。
(本質)
 ・多種多様、しかも複雑で混沌としている表層に隠れた本質的な姿を示すことが出来る。
(構造化)
 ・『要素』によって構成される「構造」を示すことが出来る。
 ・『要素』と「構造」を検討することによって立体的/多層的で動的な実態が理解できる。
(普遍性)
 ・『要素』を手掛かりにして、案件も様相も全く異なる多数事例を横断的に理解することが出来る。
 ・横断的理解により、「構造」と問題点、および改善例の普遍的な状況を把握できる。
 ・普遍的状況との比較により、各案件の特色や位置付けも明確にできる。
(解析)
 ・上記知見によって、個別案件に対する解析を精緻に、かつ有効的に行うことが出来る。
 ・また、案件固有の雑多な状況の中から”信念”と”不毛”の核心的内容のみに集中して解析できる。
 ・さらに、同一案件内だけでは困難な多面的/多元的な解析が可能となる。
(改善策)
 ・上記知見によって、実効性のある改善策を案出することが出来る。
(当事者)
 ・上記知見によって、当事者が自分たちの対立に対する見通しを良くすることが出来る。
 ・悲喜劇でしかない”不毛”が自分たちの対立にもあることを当事者が知る機会になる。
 ・タコツボ的/近視眼的な姿勢や”信念”の絶対化が自分自身にもあることを当事者が知る機会になる。

1-3 本研究の進め方
 U編以降において、下記の流れを基本として“不毛な信念対立”の研究を進める。
 1)『要素』を設定し、それによる構造化を行う。
  様々な事例に共通する特徴から『要素』を設定し、その『要素』を構成要素とする「構造」を設定する。
  『要素』と「構造」のいずれも普遍的な形を示す。
 2)『要素』と「構造」の検討を行う。
  実際の事例に適用しながら、設定された『要素』および「構造」について検討する。
 3)『要素』の重み評価を行う。
  各案件の『要素』の重みによってそれぞれの特色や位置付けを示す。
 4)個別案件を解析する。
  以上で得られた知見を使って個別案件を詳しく解析する。
 5)改善策を案出する。
  以上で得られた知見を使って改善策を案出する。
  改善案は普遍性のある形、およびそれを個別案件に展開した形を示す。

2. 『要素』利用の試行

要素利用を理解するため、『要素』の設定と重み評価(上記1)と3))を試行する。

2-1 『要素』候補の設定

「情報」「思考」
 誰であれ一個人(一グループ)には必ず能力の限界があって、程度の差はあるもののどうしても不正確な認識、偏った認識にならざるを得ない。能力としては、現有知識と情報収集能力の「情報」、理解力と論理的思考の「思考」が主なものとなろう。
 このふたつは「事実対立」ではきわめて重要な『要素』となるが、「非事実対立」では重要性は低い。
 なお、アインシュタインが最後まで量子力学で異論を唱えていたことが象徴的に示すように、「事実対立」であっても以下に示す他の『要素』も重要となる。

「価値観」「感情」「利害」
 本人は意識しないまま様々なバイアスを受けていることが多い。主なものは、その人が大事にしている「価値観」、関連する様々な「感情」、および物質・精神面での「利害」となろう。場面としては、表には出ないが恣意性の大きな「どの事実を根拠にするか(チェリーピッキング等が問題)」「その事実をどのように理解するか(特定の面しか見ない等が問題)」などの判断の際が多い。
 原発の安全性の例では、「環境志向で理想主義」の科学者は危険寄りに、「工学志向で現実主義」の科学者は安全寄りに認識するだろうが、いずれも本人は事実を正しく認識していると信じている。
 これらは「事実対立」ではバイアスとして作用するが、「非事実対立」では直接的な『要素』になる。

「思い込み」
 独りよがりの固定観念・先入観の「思い込み」はどうしても避けがたい。特に、「思い込み」が結論だけでなく根拠となる多数の諸事実で発生している場合はかなり強固となる。さらに、(暗黙の)前提で発生する場合は他の人々とは異なる事実を見ていることになる。
 福島原発の事故前には「原発事故の確率は何万年に1回」等々、事故直後では「数年後には人がバタバタと死んでいく」等々を根拠にした主張が目立っていた。現在は、地域も限定しないまま「福島県で生活することは大変危険」、あるいは「全く問題ない」を暗黙の前提とした言い争いが目立っている。
 これは「事実対立」「非事実対立」いずれも直接的な『要素』となる。

 まとめると表1のとおりとなる。

表1

2-2 『要素』の重み
 様々な対立事例での各要素の重み(影響度合い)を確認する。
1)「事実対立」
 「事実対立」事例における各『要素』の重みを表2に示す。

表2

 全体的に「情報」「思考」が主となっているが、それ以外も多く現れている。

 各事案の特徴は以下のとおり。
 地球温暖化(原因)では、「情報」「思考」が特に大きく、「利害」も大きい。「利害」の例では、先進国の責任を追及したい途上国は人為説を絶対とし、対する米国(の大統領)は否定している。研究者は予算取りや印税などから完全に自由とは言えない。
 進化論vs創造論での創造論側では、強い信仰に支えられた「価値観」が特に大きい。また、込み入った進化論に関する「情報」「思考」、科学自体に対するネガティブな「思い込み」、組織防衛のための「利害」も大きい。
 南京虐殺(20万人説)での肯定側(中国側)では、提唱者で反日感情・外交カードの「感情」「利害」が特に大きく、同調者でプロバガンダをそのまま受け入れてしまう「情報」「思い込み」が大きい。
 被曝許容量での危険側では、原発撤廃を志向した「価値観」「感情」「思い込み」が特に大きい。難解な学術的判断に関する「情報」「思考」も大きい。
 子宮頸がんワクチン(の安全性・有効性)での否定側では、難解な医学判断の「情報」「思考」と副反応症状による「感情」が特に大きい。検診受診率は高いはずなどの「思い込み」も大きい。

2)「非事実対立」
 「非事実対立」事例における各『要素』の重みを表3に示す。

表3

 「価値観」「感情」が主で、一部に「利害」がある。
 死刑制度中絶(米国)は命に関わる案件なので「価値観」が特に大きく、「感情」も大きい。民族・宗教紛争では「感情」「利害」が特に大きい。

3)「複合型」
 「複合型」事例における各『要素』の重みを表4に示す。

表4

「価値観」や「感情」が大き目である一方、「非事実対立」(表3)に比べると「情報」「思考」「思い込み」が現れている。前者は「非事実対立」の特徴であるが、後者は「事実対立」の特徴が反映しているのだろう。
 右翼vs左翼(政策論争)では様々な政策での多数の「事実」があって平均化している。
 職場での犬猿関係
(ソリの合わない同僚との対立)では常に相対しているので「情報」はないが「感情」が大きくなっている。
 原発の撤廃vs存続では根拠とする「事実」が難解なので「情報」「思考」が大きくなっている。


2-3 サブ要素
 「事実対立」の横断的理解に役立つものとしては上記の『要素』以外に「検証性」がある。
 「検証性」とは真実であることの証明しやすさで、強力な直接証拠があれば容易だが、弱い間接証拠しかなければ困難となる。“不毛な信念対立”の多くは弱い間接証拠しかないので、いくらでも反論が出来てしまう。

 地球温暖化(原因)では実験用に別の地球を用意することも出来ないので直接証拠はないし、気候はきわめて複雑なのでどんな観測結果も決め手に欠ける間接証拠でしかない。結局、検証には10年単位の長期の観測結果を待つしかない。
 進化論vs創造論ではこの観測期間が万年単位となるので、検証は本質的に困難となる。
 南京虐殺(20万人説)では資料の多くが真偽の不確かなものなので検証は容易ではない。時間が経っても検証に近づくことはない。
 被曝リスクは原理的にはデータの積み重ねで検証可能ではあるが、低線量になればなるほど難度が高くなる。時間も無関係。
 子宮頸がんワクチンは比較的検証が容易で、10年もすれば検証される可能性が高い。

 このように「検証性」は指標として“不毛な信念対立”の横断的理解に役立つが、構成要素とは言い難いので「サブ要素」とする。 



 なお、U編以降の本格的な検討では、(不毛以前の)「信念対立」には「情報」「思考」「価値観」の3要素、および「関心」「興味」の「サブ要素」を設定する。また、“不毛な信念対立”には「感情」から発展させた「頑迷」「正義」「憎悪」と「利害」「思い込み」、および新たに「アイデンティティ」を加えた6要素を設定する。



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